top of page
検索
  • 執筆者の写真urohaze

両国、森下、キヨズミと

更新日:2020年1月27日

 

 2007年3月12日 暖かさについ浮かれ、桜も咲くかと墨田の河岸を訪ねてみれば~。

 

 3月10日の都区合唱祭の後、痛みだした歯の治療を神田の歯科でやり、繰り返し練習した音符が頭から抜けない「両国・・森下・・キヨズミト~」が収まるかと隅田川河岸へ行ってみた。浅草橋から隅田川を渡ったJRを、」両国駅で降りると目の前にコンクリートの護岸が見えた。それを目指して歩くとちょうど、川岸の散歩道に通じる階段があった。昇っていくと目の前に隅田川の以外に大きい流れが広がった。

 

 頭の上をB29爆撃機でならぬ、総武線の爆音が聞こえた。 下流にかかる新大橋の通りをまたぎ、支流にかかる萬年橋をわたると清澄の名が出てくる。清澄公園はここから近い。東京が15区に別れていた昭和7年まではこの辺りは、深川区という行政区画だった。深川ナントカという町がいくつもあった。その中に深川森下町があったし、深川清住町というのもあった。ちょうど、清洲橋の付け根(東側)の辺りらしい。清澄公園のごく近くだ。写真の右手前辺り。

清洲橋> 「…清洲橋という鉄橋が中洲から深川清住町の岸へとかけられたのは、たしか昭和三年の春であろう。この橋には今だに乗合自動車の外、電車も通らず、人通りもまたさして激しくはない。それのみならず河の流れが丁度この橋のかかっているあたりを中心にして、ゆるやかに西南の方へと曲っているところから、橋の中ほどに佇立むと、商の方には永代橋、北の方には新大橋の構わっている川筋の眺望が、一目に見渡される。西の方、中洲の岸を顧みれば、箱崎川の入口が見え、東の方、深川の岸を望むと、遥か川しもには油堀の口にかかった下の橋と、近く仙台堀にかかった上の橋が見え、また上手には万年橋が小名木川の川口にかかっている。…」


永井荷風の「深川散歩」の書き出しに出てくる清洲橋。(「東京紅團」HPから)平賀源内は深川清住に住んでいた。 キヨズミとぉ~の歌詞は間違いではなさそう。ヨカッタ。


 清澄公園は、メジロが群がっていたし、桜はもうひとつ暖かさを待っているかのようだった。 ちょっと人気の少ない倉庫がいくつも集合して、対岸のオフィス街とは対照的な風景。墨田の流れがサラ、サラと歌の調子にまさにぴったりの様子が印象的だった。



♬隅田の流れに


閲覧数:42回0件のコメント

最新記事

すべて表示
bottom of page