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  • 執筆者の写真urohaze

花の山形、銀山温泉

JTB(ジーとバー)の温泉行

2015年1月30日~2月1日


花の山ガアター 紅葉イイの天童オーオ♬ 雪をチョイチョイ、眺ムール尾花アア沢~♬ 

 銀山温泉のひなびた旅館で、この歌を聞いてからもう何年たったか。法事のあと泊まったときだった。3階建ての木造でギシギシと階段が鳴る旅館だった。ふすまを隔てたむこうから、お婆ちゃんの渋くて味わいのある声が聞こえてきた。故郷ゆえかここちよい節回しだった。民謡とはかくしたものだろうと腑に落ちた。

 故郷山形は貧しいところだと、ずっと思っている。潤沢な町などは一部を除いてはないのだろうけど、だからこそ残っている文化や変わらないもあるがある。

 雪との戦いを強いられているところは、あえて見ないようにしての道行。その願い?が通じて、出かける1月30日には東京の空が雪模様。新幹線は雪に強いからまあ心配するほどのことはないだろうと、高をくくって乗り込む東京駅。大宮駅でメンバーがそろって、東京駅エキナカで買い込んだ贅沢目の弁当をおかずに、缶ビールの栓を開ける。ゆえにあっという間に着いた大石田の駅。送迎バスが待っていて、労なく銀山温泉まで運んでくれた。

湯の花を乱して雪の一番湯  

 着いた頃はまだ日が高いので明るいうちの温泉街を眺めることする。旅館に備えてある長靴と防寒ウエアーを羽織って外に出る。まだほかの客は少なくて、広くない温泉街がガランとしている。ひと回りするのもさして時間がかからず、宴会用の酒だけは忘れないように買い込んだ。 宴会が終わってからもう一度夜の雪降る温泉街を巡ってみる。体が冷えてくるというほどの時間も要さず、バチバチと写真を撮って、心残りがないようにことを済ませた。部屋に戻っての二次会は何をしゃべったかは記憶に残っていないけれども、地酒が旨かったのだけは記憶に残った。

 二日目は送迎バスで大石田駅まで戻って、列車の時間を待つのにお茶所を捜す。田舎のことゆえ、よもやないだろうと思ったが、駅前にミニ喫茶店があった。椅子を足してもらって小さな部屋に無理やり8人が寄り合う。所用で帰ってしまうTさんとはここでお別れだ。残りの七人は四つ先の新庄駅に行き、これも肘折温泉への送迎バスが来るまで、最上公園まで行ってみることにする。桜のころならいいだろうが、雪の時にはこれといってみるものもなく、新庄城址で雪に埋まった鳥居を眺めただけ。

 近くにある日本蕎麦屋へ入って、当日二回目のミニ宴会が始まる。この板蕎麦はなかなかのもので、天ぷらもゲソ天が秀逸だった。危ない足元を気にしながら駅まで戻ると、ちょうど肘折温泉の送迎バスが着いたところだった。

 肘折温泉カルデラ館温泉は日帰り湯ながら山の中の源泉かけ流しで、湯量もいい。10分程度でと思ったが、それどころではなかった。カルデラ館からの迎えがあるのかと問い合わせをしてもらったが、それはないらしい。結局往路だけは旅館の車で送ってくれることになって、一件落着。楽しんだ温泉を上がってからは、ゆるゆるした下りの一本道を夕食の時間を気にしながら、旅館街めがけて歩いた。

 

 宴会は囲炉裏を囲んでのすき焼き。味は申し分ないが連続のごちそうで、胃袋の方の動きがイマイチになっている。最後のおにぎりを焼いて部屋へ持って帰ることにした。二次会を部屋でと、支度をして待っている間に寝入ってしまった。部屋からみる銅山川は白色を背景にして黒い流れが急いで下っていた。降り続く雪が川に落ちて、ひっきりなしに流れていた。 最終日に寄った「雪の里情報館」が今回の旅の印象に残った。雪との戦いの記録が綴じこんであった。雪国での生活の方法を発信していたという。故郷の少しばかりの誇りを感じさせてもらった。


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